気持ちが通じるってどんなときのことを言うのだろう。
好きなものも嫌いなものも、腹が立つことまでもが異なると、
嚙み合わないことばかりが目に付いてしまう。
すれ違い傷付け合い。
そうまでしても譲れないものってなんだろう。
パートナーとの相性が気にあるときに。
好きなこと好きなもの
好きなものを馬鹿にされたような気がした。
「どこがいいの?」 「なんでそんなに好きなの?
言葉に含められたその感情で、伝わるものはぜんぶ変わってしまう。
今のは確実に馬鹿にした物言いだった。
ムッとして横目で彼を睨んで、お前に何が分かると言いたくなったけど、
喧嘩はしたくないから我慢をした。
好きなもの否定されたときに相性のことを考える。
彼が好きなものと私が好きなものは、似ていない。
それぞれがそれぞれでいいと思ってはいるのだけれど、
こうやってニヤニヤとした表情で、好きな理由を尋ねられると悔しくなるし悲しくなる。
好きなものを馬鹿にされるのは、本当に嫌な気分だ。
文学でも音楽でも、ファッションでもそうだと思う。
どんなに小さなことでも、好きな人に好きなものは否定されたくない。
認めてくれなくてもバカにはされたくない。
認めて欲しいわけじゃない
「私たちほんとに合わないんだよね」
頬杖をついてうっとりとした表情を浮かべながら、友達である彼女はそう言った。
そんなことを言える幸せを噛みしめているみたいに見える。
パートナーとの相性を、あなたは考えたことがありますか?
価値観の相違とか、そんな言葉では片づけられない、
似ても似つかない二人に不安を感じるたびに、あのときの彼女が頭を過る。
好きなものも嫌いなものも、腹が立つことまでもが異なると、
嚙み合わないことばかりが目に付いてしまう。
それでもやっぱり好きだから・・・。
好き同士だから一緒にいるんだと思いたいけれど、
ふとしたときに驚くほど相性が良い人に出会うこともあるから、戸惑ってしまうのかもしれない。
「私たちはほんとに合わないんだよね」
あのとき彼女に感じたあの余裕は、それでもパートナーと良い関係であることを想像することができる。
きっと大切なものを譲り合うことができているのだろう。
相性がどんなに悪くても、思いやりがそこにあれば上手くいくこともたくさんあるのかもしれない。
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譲り合う意味
好きなものを知られるのは、何だか恥ずかしい。
自分で意を決して言葉にできない状況は、顔が赤くなるほど恥ずかしい。
不意打ちで家の本棚を覗かれたり、何聴いてるの?なんてイヤフォンを外した瞬間に尋ねられたとき、
そんなことを思う。
好きな人から好きなものを認めてもらえなかった悔しさが、
いつの間にかコンプレックスも変わっていることに気が付いて、嫌気が差した。
自分の好きなものに自信を持ちたいのに、どうしては恥ずかしくならなければいけないのだろう。
気にしないで済むのなら気にしたくない。
それでも現実はそうもいかない。
好きな人が相手だったからこそ、こんなにも引きずってしまうのかもしれないとも思う。
相性が悪いと感じるパートナーに、あなたは何を思います?
好きだから分かり合いたいのに、何となく意地を張って歩み寄れなくなって、
あっという間に離れてしまう心の距離。
譲り合う気持ちを思い出しましょう。
優しさと思いやりが、二人の距離を縮めてくれるはずだから。
最後に
パートナーとの相性が、気になる瞬間ってありませんか?
すれ違い傷付け合い。
そうまでしても譲れないものってなんだろう。
心の距離が離れてしまう前に、思いやりを思い出しましょう。
大切なものは答えは、いつもすぐ近くにある。
そんなものだから。